「小さな自分にこだわっている時などない」人生論
こんにちは。上村です。
『恥ということを打ち捨てて世のことはなるべし』
・・・坂本龍馬
『せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。
恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。
自分を大事にする時など、もうないのだ』
・・・アウレリウス
という言葉があります。
要するに、「恥ずかしい気持ちに負けてはいけませんよ」という意味なのでしょう。
「恥を知る」という言葉がありますが、その「恥の本質」が大切です。
本当の恥ならともかく、「恥ずかしくないこと」まで「恥ずかしい」と思い込んでいる場合があります。
恥ずかしい気持ちに負けて、すべきことや言うべきことが、できない人も多いのです。
「恥ずかしい気持ちを乗り越える」
これは大切なことだと思います。
恥ずかしくないことを、自分で勝手に「恥ずかしい」と思い込んでいることもありますね。
例えば、好きな人を食事に誘う。(同性でも異性でも)
別に恥ずかしいことではありませんね。
純粋にそう思っているだけです。
「いっしょに食事に行きましょう・・・ああ、恥ずかしい」
とか言っていたら、誘われた方も困ります。(笑)
もちろん、「繊細」は美徳です。
ただ、そのせっかくの美徳が、後ろ向きに出ると、意味のないことにまで恥ずかしさを感じてしまうことがあります。
美徳は美徳として、前向きに発揮することが大切です。
こんな例を考えてみましょう。
「セクハラ発言」などをする人がいますね。
相手が戸惑ったり、恥ずかしがったりするのを、楽しんでいるのです。
誠に悪趣味です。
こういった人に対しては、モゾモゾと恥ずかしがっていてはいけません。
「毅然とした態度」をすべきです。
「セクハラ発言など受け付けない」という、強い気持ち。
これが大切ですね。
「恋人がいるのか」と、しつこく聞くような人もいます。
相手が恥ずかしがると、余計に頑張って聞こうとする。
そういうことを聞かれないようにするには、「恥ずかしがらないこと」が大切です。
恋人の有無など、別に恥ずかしさとは何の関係もないのです。
当たり前のことですね。
自分で勝手に、「これは恥ずかしいこと」と決め付けている場合があります。
冷静になって、それは「本当に恥ずかしいことなのか」を考えてみることです。
すると、自分で恥ずかしいと思っていることの多くは、別にそんなことはないことに気付くでしょう。
自分が想像で作り出したものも多い。
他人は何とも思っていないという事実です。
理性的になって、「恥」というものを考えてみることです。
すると、恥ずかしいと思っていることの多くは、別に何でもないことに気付くでしょう。
真に恥ずかしく思わないといけないのは、自分の良心を無視して、表面的な価値観に迎合してしまうことだと思うのです。
冒頭に書いた、アウレリウスの言葉。
『自分を大事にする時など、もうないのだ』
この言葉はガツンと心に響きますね。
大事にすべきは、小さな自分ではなく、「本当の自分」です。
妙なプライドにこだわって、すべきことができなくなっている人がいます。
「小さな自分」にこだわっている時などありません。
「本当の自分」を発揮していけば、今いる人、これから出会う人を幸せにしていくことができるでしょう。
「あなたを待っている人」がいるのですから。
・今回のまとめ
小さなプライドを捨てれば、「本当の自分」が手に入ります。
本当の自分を発揮していけば、今いる人、これから出会う人を幸せにしていくことができるでしょう。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
今すぐ、「真理」を知ってください。