捨て去る勇気を持つ「あなたの廃刀令」の話
こんにちは。上村です。
突然ですが、『廃刀令(はいとうれい)』というのを、ご存知でしょうか。
「日本史の教科書」に出てきますね。
文字通り「刀を廃す」こと。
昔は武士がいて、刀を身につけていました。
「武士の身分証」のようなものです。
ところが明治維新が起きて、身分制は廃止されました。
少なくとも形の上では「平等」になったのです。
武士は、特権階級でなくなりました。
帯刀する意味がなくなった。
「オレは武士だ」と言っても、
そもそもそんな階級自体が廃止されたのですから。
明治9年に、廃刀令は発布されました。
しかし、ほんの数年前まで江戸時代だったのです。
「刀は武士の命」と言われていました。
いきなり「廃刀」と言われても、
納得しない武士(士族)がいます。
「廃刀令反対」の動きが起こりました。
今から考えれば、不思議な話ですね。
刀を捨てたからといって、武士としては知りませんが、
人間としては何の変化もないのです。
武士という身分もなくなったのですから、
そんな「身分証」を身につけていても、
意味がないのは当然です。
しかし、それに納得しない人がいた。
致し方ない面もあるでしょう。
武士階級として生まれてきたのです。
「刀は武士の命」と教えられていたのです。
生まれた時からそう教え込まれていたのですから、
いきなり「それは間違いだ」と言われても、
納得できなかったでしょう。
これは、廃刀令の話ですが、我々個人でも、こういったことはあります。
「刀」を捨てられないのです。
(ここでの「刀」は象徴的な意味)
「進歩派」と「守旧派」がいるように、
個人にも「進歩しようとする自分」と「過去にこだわる自分」がいます。
もちろんいいことは守っていくべきですが、意味のないことは変えていくのが必要です。
ところが「意味がない」とわかっているのに、
過去の習慣とか押し付けから、抜け出すことができないのです。
例えば、「先輩・後輩」というものがありますね。
礼節はいいのです。
でも、そのことと「先輩の言うことはすべて正しい」などとは、全然違います。
当たり前ですが、先輩でも後輩でも、間違ったことをすることもあります。
「先輩が白と言ったら、黒いものでも白」という馬鹿げた考え方が、だいぶん薄れてきたとはいえ、今だに残っています。
そう考えたら、世の中には、わけのわからない儀式だとか、
良識に反するようなこともたくさんあります。
「いったいそんなことをして意味があるのか」
と思うようなこともあります。
「過去がそうだったから」と、それを引きずっているのです。
その一方で、「本当に必要なこと」を、
いろいろな理由をつけてないがしろにしていたりする。
自分自身の中にも、きっとあるのではないでしょうか。
「セクハラ」や「パワハラ」という言葉は、今は一般的になりました。
でも昔は、そういった言葉すらない時代もあったのです。
言葉はなくても、実態は同じ。
今になってやっと、そのような問題が身近にあって、深刻だとの認識が広がったのです。
セクハラやパワハラに悩んでいる人に、「救い」がもたらされたのです。
時代が進歩するように、自分自身も「常に進歩的」でなければならないと思います。
進歩は、「右肩上がり」にはいかないもの。
時に退歩したり、逆行したりすることもありますが、
長い目で見れば、常に前進していきます。
意味のないことや、どう考えてもおかしいと思うことは、捨て去る勇気が必要です。
過去にこだわっている人もそうですね。
過去に戻って行動することはできないのですから、そこにこだわっても仕方がないのは当然です。
「昔はあんなに楽しかったのに」といくら思っても、
自分は「今を生きて」います。
むしろ、思い出とは、常に「これから作っていく気構え」であるべきだと思うのですね。
いつだって「今が一番いい時」と言える、自分でありたいと思います。
いろいろなことに悩んでいる人は、
その都度「脱皮」を促されていると思っていい。
古い殻、終わった殻を拭い去って、「蝶」は羽ばたけるわけですね。
ぜひ「蝶」になっていきたいですね。
・今回のまとめ
いろいろな悩みは、その都度「脱皮」を促されている証拠。
困難は、あなたに「進歩」を促しています。
「古い殻」を捨て去る勇気が必要です。
あなたが「愛の弱者」だと思うなら、
あなたは誰よりも「愛の強者」になることができます。
その秘術を書いたものです。
ここで書いてあることを、そのまま実行すればいいだけです。
あなたが、恋愛や人間関係で「愛されない」と悩んでいるなら、たった二つの真理を知るだけで、それは解決します。
1.追いかけるのをやめる
今すぐ、「真理」を知ってください。