相手に合わせて自分を変えるのではなく、「自分に合わせて自分を変えていく」話
こんにちは。上村です。
「ラスク」という食べ物がありますね。
パンを二度焼きしたものですね。
表面に砂糖などをまぶしています。
カリッとした食感があって、おやつに最適。
今回は、この「ラスク」と、「人間の魅力」について語りたいのです。(笑)
いったいそれは、どういうことでしょうか?
僕の「思い出話」をお聞きください。
中学生の頃。
クラスメートに、
昼食としてパンとラスクを持ってくる子がいました。
彼が、たまにラスクを残すのです。
そうなると、友達同士で、「ラスク争奪戦」が始まります。
もちろんケンカをするわけではありません。
ラスクを誰が食べるか、「ジャンケン」で決めるのです。
ジャンケンに勝った時の嬉しさは、ひとしお。
若いですし、食欲があります。
おいしいお菓子があるのだから、何とか食べたいと思う。
ジャンケンに負けた時は、放課後までブルーな気持ち。
ずっと、頭の中に、食べ損ねた「お菓子の残像」が残っています。
そんな時に限って、午後の授業の「教科書」を忘れていたりする。
隣の子に見せてもらっていたら、
機嫌の悪い教師に、怒鳴られた記憶があります。
あの教師、どうして機嫌が悪かったのでしょうか?
きっと昼ごはんを食べ損ねたからに違いない。
という妄想が湧いてくるくらい。(笑)
さて、あんなに食べたかったラスクも、今となっては、めったに口に入れる機会がなくなりました。
最近まで、存在自体を忘れていたのです。
しかし僕は、ひょんなことから、「ラスクに再会」したのですね。
かつて好物だったラスク。
でも、久々に食べてみて、「あれっ?」と思ったのです。
もちろん、おいしいのですよ。
確かに、かつて食べたラスクと同じ味。
でも、今の僕には、かつての「感動」はなかったのです。
ラスク自体は、何も変わっていません。
これはいったい、どういうことか?
もちろん、ラスクに責任はありません。
僕が「理想化」しすぎていたのです。
昔のおいしかった記憶が、しばらく食べていなかったうちに、増幅されてしまったのですね。
「楽しい思い出のある場所」に行ったら、(思っていたほどでないな)と感じた経験ありませんか?
そんな感じですね。
ここで大切なのは、『ラスクの本質は何も変わっていない』ということです。
変わったのは、僕の方。
中学校の時は、お腹がペコペコで、お小遣いも限られています。
でも、大人になると変わります。
お菓子くらい、自分のお金で買えるようになる。
そして反比例するように、学生時代の食欲はもうありません。
ラスクの味は同じ。
でも、僕の状況が変わったために、有難く思わなくなったのです。
考えてみると、人間関係もこれと同じですね。
相手が変わるのは、相手の自由です。
自分は、自分自身に責任を負っています。
それが、絶対的事実です。
にもかかわらず、自分をなおざりにして、相手を変えようとする人がいます。
そうなると、関係がうまくいかなくなる。
ラスクが、もし僕を変えようとしたら、それは「おかしなこと」になるのです。
(「お菓子」と「おかし」のシャレではありません)
ラスクはそのままでいい。
そのまま、「ラスクとして」進化していけばいいのです。
相手に合わせて、別のお菓子になろうとしてはいけない。
それは無理ですし、もしできたとしても、ずっと相手に振り回されたままになります。
ラスクはラスクだから価値があるのです。
きっと、あなたはあなたであるがゆえに、価値があります。
他人もそうです。
素直に「自分の長所」を生かして行くことが大切です。
そして「他人の長所」も認めてあげることです。
・今回のまとめ
相手を変えようとすれば、泥沼にはまります。
自分が進化していくことです。
そうすれば、自分の長所がきっと誰かの役に立ち、相手が変わるきっかけにもなっていくでしょう。
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幸せとは、いつも「現在進行形」という話
こんにちは。上村です。
今回は、「夏らしい話」をしてみたいです。
そう、花火大会。
意外性がないですね。(笑)
それはともかく、もちろん、単に花火の話をするわけではありません。
「花火の哀愁」という人生論。
あなたは花火に「哀愁」を感じたことはないでしょうか?
例えば、大きな花火が打ち上がる。
もちろんきれいです、華やかです。
夏の風物詩。
人々から歓声が上がります。
「たまや~」と絶叫する。(今時いませんが)
恋人同士は、花火を見つめながら、「同じ空間」を喜びます。
友人同士は、花火を見ながら、盛り上がる。
家族同士は、夏のいい思い出になるでしょう。
しかしです。
いつまでも花火大会が続くわけではありません。
それは、あっと言う間に終わります。
人も次第に少なくなって、「以前と変わらない空間」になっていくのです。
花火の後に残るのは、閑散とした風景。
そして帰りの電車の大混雑。
決して夢のない話をしているのでありません。
ただ、祭りの後の寂しさというのは、
誰しも感じることがあるのではないでしょうか。
(夏も終わりか・・・)
(夏休みの宿題が大量に残っているぞ・・・)
学生さんは、現実に引き戻されるかもしれません。
だからと言って、現実を避けて、毎日花火大会に酔っているわけにもいきません。
第一、毎日花火大会だったら、うるさくて仕方がありません。(笑)
日常があるからこそ、気分転換があります。
忙しい日々があるからこそ、休日がホッとする。
幸せというのを、「花火」のごとく考えていてはいけないと思うのです。
楽しいことも寂しいことも、嬉しいことも辛いことも、トータルで自分に役立っています。
別れがなければ、出会いの喜びもないように、それは表裏一体です。
幸せとは、花火の最中にあるのではありません。
むしろ、その前の日常と、その後の余韻にあると思うのです。
真の幸せとは、あっという間に終わるものではなく、もっと深いトータル的な意味があります。
自分に起こるすべてのことに、意味があります。
それを実感していく中で、真の幸せをつかんでいくと思うのです。
・今回のまとめ
自分に起こるすべてのことに、意味があります。
真の幸せとは、一時的なものではなく、もっと深い「トータル的なもの」です。
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幸福は後からついてくるものではなく、先に作るもの
こんにちは。上村です。
前回のブログで、「イヤなことばかり言われる人」の話をしましたね。
いつも、一部の同僚から、傷つくことを言われるのです。
飲み会や宴会などは、恐怖そのものです。
イヤなことを言われるから、付き合いが楽しくない
→何とかしたい
→何ともできず、またイヤなことを言われてしまう
という悪循環になっていたのです。
無神経な一部同僚のことは、置いておきましょう。
それは相手のことですから、仕方がありません。
問題は、「自分自身のこと」です。
その人自身の考え方にも、問題があったのです。
「イヤなことを言われるから、付き合いが楽しくない」
という考え方です。
これは正確ではありません。
『付き合いがイヤで仕方がないから、イヤなことを言われる』
というのが正確なのです。
その人の「後ろ向きな姿勢」を感知した一部の意地悪な人が、
引き寄せのごとくイヤなことを言うわけですね。
これは、恋愛や人間関係すべてに言えることです。
「好きな人と仲良くなれば幸福になる」
というのは正確ではありません。
「幸福だから、仲良くなる」
のです。
「人間関係がよくなれば楽しくなる」
これも正確ではない。
「楽しいから、人間関係がよくなる」
のです。
「幸福」というのは、意識すれば、いろいろなところにそれを発見することができます。
「恋愛がうまくいかない」「人間関係がうまくいかない」という人は、それだけを見ているから幸福が見つけられなくなっているのです。
他に幸福を探せば、それは見つかります。
その気持ちが、自分自身との調和を図っていくのです。
「○○がうまくいけば幸福になる」
という考え方ではないのです。
『先に幸福ありき』
という、正しい考え方に戻す。
幸福の種は、環境ではなく、自分の中から見つけていくものです。
「幸福先にありき」で物事に取り組んでいけば、きっと環境も変わっていくことでしょう。
・今回のまとめ
「いいことがあったら・・・」、ではありません。
いいことは、先に「自分の心の中」に見出していくものです。
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