「すれ違い」にも、きっと愛がある話
こんにちは。上村です。
以前、こんな会話を聞いたことがあります。
男性二人がしゃべっていました。
「君は、僕の友達だよな」
「そうだっけ」
もちろん、ジョークです。
仲のいい相手だからこそ、そんなことが言えるのかもしれない。
その会話を聞いて、僕は思ったことがありました。
「‘友達‘って、いったい何だろう?」
と。
「友達の定義って何?」と思ったのです。
ちなみに辞書を引いてみると、
「友達=親しく付き合っている人」とある。
では、「親しさ」とは何でしょうか?
辞書で、「親しい」を引くと、
「仲がよい」とある。
じゃあ、「仲がよい」って何?
キリがありませんね。
こんなことばかり考えていたら、それこそ友達がいなくなってしまう。(笑)
一口に「友達」といっても、様々な形がありますね。
「これが友達」と、決まったものはないのです。
お互いが友達だと思えばそうなのであって、「内面的なこと」です。
恋愛だって同じ。
「恋愛の定義」はありません。
ちなみに、「恋愛」を辞書で引いてみると(もういいか)、
「男女が互いに恋い慕うこと」と書いてある。
では、「‘恋‘とは何?」となって、また堂々巡りが始まります。
「これが恋愛だ」と決まった形はありません。
話のついでに言うと、「青春」もそうですね。
「これが青春だ」という昔懐かしいテレビドラマがありますが、青春にも決まった形はない。
「充実している時こそが青春」と考えれば、もちろん年齢は関係ありません。
幾つになっても、昔の学園ドラマのごとく、太陽に向かって砂浜を走っていいのです。(笑)
そこで、さっきの「友達」に話を戻しましょう。
「耳の痛いことも言ってあげるのが友達」
と言う人がいます。
確かに、それはそう。
一方で、本音を言ったら、「それでも友達か」と言われることもあります。
励ましが必要な時に叱咤しても、意味がありません。
その微妙な呼吸が合っているからこそ、まさに「友達」と言えるのでしょう。
「友人の定義」などないですね。
「恋人の定義」もない。
何でも定義を決めないと気がすまないなら、そこから一歩も抜け出すことはできなくなります。
「恋人はこうあるべき」
「友人はこうあるべき」
「職場はこうあるべき」
「家庭はこうあるべき」
「学校はこうあるべき」
と考える。
でも、必ず、「こうあるべき」から外れたことがあります。
そこを補えるからこそ、愛情なのです。
「違いを認め合うこと」
真の愛情があればこそ、それが可能になります。
求めることに意識がいってしまうことがありますね。
「これだけ優しくしてあげたのだから相手も返すべきだ」などと思う。
しかし、こうしたからこうすべきというのは、
まさに「定義」でガチガチになっています。
しかも、その定義は、正しくないのです。
恋愛や人間関係は、そういうものではないですね。
定義から外れたことがあるのです。
でも、それがあるからこそ、お互いが努力して、壁を乗り越え、愛に磨きをかけることができるのです。
小さな部分にこだわって、大きな部分を忘れてはいけない。
もっと余裕で、おおらかで、堂々と、ゆっくりと、慌てずに、寛容で・・・
そんな気持ちを忘れないようにしたいものです。
そうすれば、きっと、いろいろなことを乗り越えていけることでしょう。
・今回のまとめ
すれ違いなど、小さなことです。
「大きなもの」を、忘れないこと。
もっと余裕で、おおらかで、堂々と、ゆっくりと、慌てずに、寛容でいることです。
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